特亜::朝鮮人の挑戦::チョッパリは400年前から騙しやすいニダ!

朝鮮半島に関わるとロクなことはない
 秀吉の朝鮮出兵について思うところを述べてみたいと思います。 

 秀吉の朝鮮出兵の契機は様々な論説が有って、その多くは秀吉の内国大名、特に畿内から遠い九州や中四国の大名の統治引き締めが主な目論みであったとか云われていますが、それなら、筆頭の家康を動かさねばならないでしょうが、彼は勿論、息子の秀忠や家臣クラスも動いていません、是は、徳川を動かせるに足る大義名分が整わなかったか、動かす方が危険が大きかった為かと。 

 朝鮮出兵の中心メンバーは、加藤、鍋島、島津、黒田、大友と云った九州、宇喜多や福島、毛利と云った中国勢以外は、小西行長とか、片桐勝元と云った、秀吉の恩顧の寵臣と云われた大名ばかりです、上杉や伊達も出兵こそしましたが、実際の戦闘に携わる事はなかった様ですから、朝鮮征伐は秀吉の身内と西国大名で行ったと云って好いでしょう。 

 特筆すべきは朝鮮民衆の動きです、特に、緒戦の文禄の役では、日本軍を解放軍の様な扱いで迎えた様です、朝鮮の正規軍は17万居たと云われていますが、実質殆どが、危急時のみ農民から強制徴用する兵ばかりで、当然、戦闘力など皆無に等しい、戦える=武器を曲がりなりにも使える兵は、2万2千足らずでしたが、軍事訓練も受けていない兵が多く、それまでの戦国の世で戦いに明け暮れて職業軍人化した日本兵には敵うはずもなかったわけです、敵いもしないのが歴然としている上、朝鮮王朝に差別され収奪されて怨嗟の声に溢れて居た農民が、日本軍の進攻をむしろ歓迎するのは当然かと思います。 

  地方の王城や官舎を焼き討ちにしたのは、朝鮮農民であり、其の目的の多くは、差別の根源である人別帳の焼却であったと云う。 

  ここで明らかに、当時の半島社会の構造が見えてきます、農民の多くは、三韓の昔より半島に住み着いて水田耕作を行ってきた民であり、百済や新羅の王朝を構成していた民でしょう。 

  有史以来三韓に分裂して居た半島は、9世紀頃新羅によって統一されますが、朝廷に入り込んだ王建に拠って、実質上、統一新羅王朝は簒奪されて、程なく、高麗と名前を変えられますが、この時こそ、永年に亘って半島に南進・侵略してきた遊牧民族が、半島全土を征服した一瞬でもあったと思います。 

  その後は、少数部族が多数の民族を支配する場合の鉄則=徹底した階層間差別で社会を構成し、武力・暴力を背景とした徹底収奪を行う、の轍を守って、その結果、千数百年にも及ぶ階層間差別社会の出現、工人差別が激化するにつれ、命脈を保ってきた朝鮮文化も凍りつき、やがて廃れてしまった。 

  此処で、農民が武器を携え海を越えて遣って来た外国軍をそんなに容易く受け入れるだろうか、と云う疑問が私にはあります。 

  朝鮮沿岸のみならず、東シナ海一帯は、其の当時まで倭寇と云う海賊に悩まされていましたが、実の処これらの海賊行為は、元寇の際に大虐殺に遭った日本側の、特に対馬の海産民、漁民の復讐に端を発しているとされて居ますが、此ころには、半島南部で差別下の苦しい生活に喘ぐ朝鮮の民が、明との交易ルートを走る火砲を積んだ官船を襲うケースが殆どであったとされます。 

  もともと、玄界灘は日本海流が東流する漁場ですが、海流の流向と速さの所為で、済州島から山陰沿岸、果ては、敦賀湾、能登半島まで指呼の間であったのですから、帰りは難儀ですが、漁民同士の交流は長く続いていた事は容易に想像できます、つまり、民間交流は非常に頻繁であった。 

  もし、これ等の民からの情報で、朝鮮王朝が民衆の支持を得て居ない事が判って居れば、朝鮮出兵する大義名分は立つと考えても不思議ではないでしょう、国内でも戦いの大義とは、悪政を行う領主の征伐でした、詰まる所、民の為と云うのが大義の拠り所でした、しかも元より朝鮮出兵、明攻略は秀吉ではなく信長の遺訓でもあった、明王朝も亦、宦官に拠る悪政で民は苦しんでいたのですから。 

  しかし、日本軍に幾ら大義があるとはいえ、否、大義ゆえに、半島を収奪する立場にはとても立てない、つまり、勇んで半島に出兵して大勝利したは好いが、1銭にもならない事が次第に分かって来たから、だんだんやる気が失せ、慶長の役の9月ごろには、8月に秀吉が死んだ事もあって、圧倒的に勝って居たのに、あっさり兵を引く事にします、兵を引けば、日本軍に協力した農民は復讐されるでしょうに、しかし引いた、これは朝鮮の民側の裏切りや本性を知った結果ではないかと。 

無情な引き上げを決断した小西行長は、半島では、民を救うとか、教化したり、金をかけて近代化するとか、一切が無駄であるとこの時から知って居たのではないか,せめて後世に教訓を遺して置いて欲しかったですね(笑)。 


2009/11/29(日) 23:48:43|  URL|  ナポレオン・ソロ #90LdKUd6  [編集] 
>ナポレオン・ソロ さん 

>せめて後世に教訓を遺して置いて欲しかったですね(笑)。 

最後の落しどころが、絶妙に感じました。このとき、小西行長が半島の正体を警告として強く、残していてくれたら、今の日本は、こんなにも苦しむこともなかったかも(笑) 



2009/11/30(月) 00:20:26|  URL|  bingo #mIug5Ryo  [編集