現代シナ考
皆様お久しぶりです、生業が忙しく自宅のPCの前に座ることすらままなりませんでした、“大不況風が吹いている”と、まことしやかに伝えられていますが、トヨタ系の部品工場では座員行が始まってます、「ホントかよ?と云うのが正直な感想です。

さて、ブログ主が紹介された岡田英弘日本女子大教授[今も?]の本で、私も目からうろこが落ちた思いをした一人です、私は母方が大連からの引揚者と云う所為もあって、幼年期からシナには興味があり、母親が学生時代の専攻だった事もあって、漢文も早くから親しんで居ました、読み物も、三国志水滸伝は勿論、中学生になった時は、史記十八史略、挙句は四書五経の類に迄ちょっかいを出して居ました。

ですから、日中友好条約が結ばれた時は、「是で、おふくろが自慢して居るを『アカシアの大連』を、おふくろを連れて見に行ける」と親子で喜んだものでした。

でも、その後漏れ伝わってくるのは、共産シナの蛮行に喘ぐ民衆の姿ばかりで、是なら近い将来、共産シナ支配は崩壊するに違いないと確信して居ましたが、その核心の基となったのは其れまで学んできた古代シナの幻影、「4千年の歴史を紡ぐ基層となったのは、『シナ大衆が英邁であったから』」云う云う、思い込みであった事は云うまでもない事です。

共産主義社会で云う『革命』とは、絶えざる前進であり、社会の改良」であった筈なのですが、共産党独裁=党関係者の権益の擁護=現状維持が常識となれば、単に、共産党王朝に成っただけの事、しかも、喩え、借り物や剽窃に過ぎないレベルに堕して居ようと、細々ながらも歴史や伝統を護ろうとして居た良識派の学者を文革で否定、破壊し、虐殺を行ったのですから、漢民族の歴史や伝統は完全に命脈を絶たれていると云って良いでしょう。

試しに、留学生に論語や中庸を読んだ事があるものが居る化と訊いてみれば判りますが、知って居るのは、孔子孟子の名前だけ、杜甫李白にしても、諳んじている詩文は一つもないというのが普通です。

真正の留学生で此有様ですから、一般庶民は推して知るべし、否、日本に居たのは、一部のエリートであったと考えれば、格差が日本の何十倍もあるシナですから、一般庶民は読み書きをできないレベルが相当数居るとみて好いでしょう、しかも、異民族間で通じるのが漢字という表現手段しかない状況で在る事を考えれば、15億人の多くの大衆は黙殺されていると考えてよいでしょう。

つくづく、共産主義の弊害を思わずには居られません、階級闘争ならぬ権力闘争に絶えず曝されている身には、自らの保身の為には、限りなく完全な自己肯定が必須だからです。

然るに、文化や道徳と云ったモノは、足るを知り、人を思いやれる余裕が心に在ってこそ、その美や情念を受容でき、亦、楽しめるものだと思います、シナは文化大国を標榜していますから、さぞ恩徳溢れた政治がおこなわれていると思いきや、共産シナが民衆に向けて遣って居る事は、虚構の歴史や正義への誘導と其れを批判する勢力への弾圧、更には、少数民族の抹殺という犯罪行為ダケ、つまりは、自分達の立場を護ることを主体に、迎合する大衆を「漢民族」と呼んで、その権益の拡大だけしか考えて居ない。、自国の権益拡大のためには、他民族の抹殺などなんとも思って居ない姿しか見えません。

「共産シナがどんな国を作ろうとしているのか」さえ見極めずに、目先の勢力のバランスだけ、自分の党益の身を考えて、其の足下にひれ伏す愚かな似非日本人を、首相の傀儡子として期待している日本国民なら、他国侵略に迎合するシナ大衆とさほども変わりがないとは思いますが。

今のシナに、西洋文化を凌駕する文化を生み出す力が現れてくるでしょうか、私にはとても無理な様な気がします
2010/03/27(土) 12:43:04| URL| ナポレオン・ソロ #90LdKUd6 [編集]